たぶん、発達障害と聴覚情報処理障害。

たぶん、発達障害と聴覚情報処理障害。

病院での受診により、はっきりと「発達障害」や「グレーゾーン」とは言われなかったものの、ほぼほぼそのようなもんです。聴覚情報処理障害(APD)の可能性も疑っています。

発達障害は中途半端に空気が読める?

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中途半端に空気が読めるとは?

一言で発達障害といっても人間。人それぞれ違うから一概には言えないが、私の場合は中途半端に空気が読めてしまう

 

どういうことかと言うと、自分が原因で空気が凍っているのは分かるけど、自分のどんな言動が原因なのかは分からないということ。

 

原因なんて怖くて聞けない

誰かに原因を聞けば良いじゃんと思う人もいるかもしれないけど私は無理。

3~4人程度のシチュエーションだったらまだしも、大勢となるとそれだけで圧倒されちゃう。

明らかに怒ってるし若干睨まれてるのも分かっていながらそんなこと聞けない。

その前にまずヤバい空気で一声でも発する勇気がない。

はっきり原因を知るのも怖い。

 

おそらく先天的ではない

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おそらく初めから中途半端に空気が読めていたのではない。

たぶん生まれつきは正真正銘の空気が読めない人なのだろう。

 

小さい頃は空気なんてよく分からず、割と自由奔放に振る舞っていた。

それが周りから良く思われなかったために、いくら鈍くても分かるぐらい避けられた。

悪口言われたり仲間外れになったりもした。

そうなると嫌でも自分の置かれている状況に薄々気付いちゃうわけで。

 

周りとズレているから人一倍空気を読み取ろうとするんだけど、読み取ろうとする=読み取れるじゃないから。

基本的に空気は読めないけど、その努力のおかげでやっちまったことだけは気付けるようになったということだ。

 

中途半端に空気が読めるメリット・デメリット

メリット

  • バッシングされる回数が少なくなった
  • バッシングの程度が軽くなった
  • 空気が読めないことを自覚できているため、黙っていればなんとかなることがある(状況が許すならば)

 

デメリット

  • やっちまったことが自覚できる分、余計にメンタルやられる
  • 周りを気にして中途半端な人間に(平凡)
  • かといって空気が読めないから好かれることもなく
  • 結果、存在が薄くなる
  • なのに大人しくやり過ごしたい時に限ってやっちまって、周囲に変なインパクトを与えてしまう

 

中途半端に空気が読める人は稀か?

他の発達障害の人たちはどうなんだろう?

ADHD特性が強いのか、それともASD特性が強いのかで分かれたりするのだろうか?

世間一般ではどの程度空気が読めるのが(いわゆる普通なのか?

どうなんだろう?

要領が悪いのは発達障害が原因か?

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昨日は久々にブログを更新した。

前回の更新から1週間以上も経っていた。

姉妹ブログ(小さいですけど何か?)の方なんて最後の更新から明日でちょうど2週間が経過しようとしている。

もうそろそろ更新しなくては。

 

この1週間、年末だと寒すぎるから、なるべく早い時期から大掃除を始めようと、部屋の片付けをしていた。

私は明らかにいらないモノしか捨てられない。

自分が最近全く使っていないモノでも、少しでもまだ使えそうなら某フリマアプリで売れるんじゃないかと思って捨てるのをためらう。

すっと出品作業を済ませられれば良いけど、写真撮って詳しく商品説明書いて送料はいくらかかるか・・・なんてしていたら余裕で1時間は超えちゃうし。

それに名前・住所などの個人情報の記載があるモノは必要以上に細かく刻んでしまう。

こうして時間を掛けた割にはそんなに片付いていない状態。

そんなわけで今もまだまだ部屋の片付けは終わっていない。

 

こんな要領の悪さは今に始まったことではない。

 

ブログ1記事2000文字以上書いているときは毎回3時間以上は掛かっている。

どっち道同じ意味なのに、ちょっとした言い回しの違いに拘ってしまう。

例えば、果物と書くか、それともフルーツか、はたまた果実にするか・・・みたいな。

ブログ内容的にあまり重要でないのに写真選定にも無駄に時間を食ってしまったり。

 

もともと頭の回転が速くないのもあって、ブログに関わらずいつも大変である。

変な部分に拘ってしまうのも発達障害が原因なのか?

 

じゃあ、時間を決めて、物事の優先順位をつければ良いじゃんと思った人もいるだろう。

ところが私の考える優先順位と多くの人にとっての優先順位は大体いつも違う。

ここは手抜いても良いだろうと思ってチョロット緩い感じでやってたら、他のみんなは真面目にキッチリやっててめちゃくちゃ怒られたりしたこともあって、下手に手抜きできない。

 

優先順位の付け方が下手くそだから要領が悪いのかな。

気付いたら時間が経ってたなんてことが多すぎる。

 

困ったもんだ。

取り柄なし

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私には取り柄がない。

 

「自分は能力があるんだ!(☝︎ ՞ਊ ՞)☝︎」と根拠のない自信がみなぎる時と、「自分って何も良いとこない↓(´༎ຶོρ༎ຶོ`)」と絶望に陥る時を行ったり来たりしている。

浮き沈みが激しい。

 

今はだんだんと(根拠のない)自信を取り戻してきているが、つい最近までは後者モードが続いていた。

そんな時に下書きに保存しておいたのが今回の記事だ。

 

 

私は部屋がめちゃくちゃ汚いのに他人が握ったおにぎりとか無理なタイプ。

コロナ関係なく、回し食べ・回し飲みは抵抗あるし、大事な私物を触られるときは入念に手洗いしてもらわないと嫌。

 

ネットの性格診断サイトで「論理的」「研究者気質」などと出るがFラン大卒。

高学歴なら良いけどFラン大卒だし。

屁理屈だけれどやっぱりFラン大卒だし。

澄ました雰囲気なのにそれでもFラン大卒だし。

 

飽き性なのに行動力もない。

 

興味範囲が極めて狭いのに深く追究するタイプでもない。

広く浅くタイプでもなければ狭く深くタイプでもない。

 

優しい性格と言われても、好きで親切してる訳じゃなくて、親切しなきゃ自分の立場が苦しくなるからやってるだけで、マザーテレサのようなタイプでもないし。

めちゃくちゃ見返りを求めるし。

 

変わり者なのに人の目を気にするから何の面白味もない人間になってしまった。

 

めちゃくちゃ好かれる訳でもないし、めちゃくちゃ嫌われる訳でもない。

変わり者なのに影が薄い。

居ても居なくても変わらない。

 

せっかく正義感があるのに、リアルな世界では周りの目が怖くて主張出来ずに長所を活かせず。

 

学生時代はオール帰宅部で友達がいないのに、勉強に精を出していた訳でもない。

家帰ったら何してんの?ってよく聞かれた。

ってか今も聞かれる。

 

完璧主義なのに諦めが早くて結果が出ない。

器用貧乏ですらない。

 

特別光るモノはないし、かといって何でも平均的に出来るオールラウンダー型でもないし。

 

飲み込みが早いタイプでもないのに、継続や努力が大の苦手。

 

特別な能力がないから努力しなきゃいけないのに、何もしない事が大好き。

 

努力型でもなく天才型でもない。

うさぎでもないし亀でもない。

 

そんな人いる?

本当に何の取り柄もない。

強いて言えば、何の取り柄もないクセに自分大好きなところぐらい?

 

何の取り柄もないのにプライドは高いし。

 

自己診断で性格診断や強み診断などを受けてみると、本当に↓の写真みたいな感じのグラフが出来上がるんだよな。

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自分のことが知りたくて診断テストを受けたのに、ますます謎が深まる結果に。

 

本当の自分って何だろう。

どんな道を選んだら自分は幸せになれるんだろうか。

周りに左右されすぎて分かんなくなっちゃった。

もともとの性格、気質が知りたい。

 

もしかしたら本当は能力あるのに、その能力にまだ気づけていないだけなのか?

まだその能力が開花していないだけなのか?

はたまた取り柄が全くないことこそが才能なのか?

そう思いたい。

「ですます調」より「である調」の方がブログが書きやすい!?

 

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これまで「ですます調」で記事を書いてきたが、10記事目でいきなり「である調」になっていてもしかしたらビックリした方もいるのではないだろうか。

 

「ですます調」→「である調」に変わった理由はいくつかある。

  • 「である調」の方が表現の幅が広がる
  • 「である調」の方がテンポよく書ける
  • 姉妹ブログに引っ張られた
  • 気分屋
  • 設定がイマイチ定まっていない

 

今までの「ですます調」の記事はどこか単調でテンポが悪い印象。

語尾がだいたい「~です」・「~でした」・「~と思います、感じます」・「~と思いました、感じました」のどれかで、たまに「~でしょう」とかがチラっと登場したり。

ワンパターン感は否めない。

 

それが「である調」に変えたとたん、比較的勢いに乗って記事を書けるようになったし、読みやすさも上がった気がする。

 

例えば体言止めなんかは「である調」の方が個人的にダンゼン文中に挟みやすいから、それが記事にリズムが出てきた理由だろう。

 

それを裏付けるように、最初から「である調」で書いている姉妹ブログ(小さいですけど何か?) の方が、後から始めたにも関わらず反響が大きい。

きっと自分は「である調」の方がより自分らしさを出せるのだと思う。

それを証拠に、約2週間向こうのブログばかり面倒を見て、その間こっちは放置状態だった。

 

2つのブログで全く違う顔があって良いと考えているけど、そのキャラ設定やコンセプトが甘々。

だから、このブログに向こうのピンクうさぎが覗きに来たり、こっちの白うさぎが向こうのブログに大胆登場したり・・・なんてこともあるでしょう(笑)

人には色んな顔があって当たり前で、笑ってる時もあれば泣くときもあるし、テンション爆上げな時もあれば超絶不機嫌な時もある。

だから文体やキャラが安定しなくても良いかな~とか言い訳してみるww

 

あくまで自分の語彙力が足りてないだけの話で、ですます調を上手く操れる人もたくさんいるだろう。

よってどちらの文体の方が良いかは人による。

ただ自分の経験から「である調」より「ですます調」の方が難度は高いと感じた。

 

基本的に文体は揃えるに越したことはないのだろうけど、これは論文や学校のテストではなく個人ブログ。

これから先同じ記事内でも文体をあえてごちゃ混ぜにすることもあるだろうし、今までに書いた記事の語尾を修正することもしない。

そんな不完全さを平気で晒していくスタイルもある意味斬新で悪くないんじゃないかと。

自分らしく気まぐれにブログを続けていきたい。

発達障害・APDの特徴「見た目で分からない」ことに辛さを感じない理由

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よく、発達障害や聴覚情報処理障害(APD)は見た目で分からないからこそ辛いと言われている。

確かに見た目で分からないことによって誤解が生じることはある。

けれでも、実際見た目で分かる障害だったら、それはそれで辛いと思う

 

実は私は発達障害とAPD以外にも、障害ではないけど低身長という目で見てはっきり分かる身体的特徴を持っている。

 

姉妹ブログとして低身長を主題としたブログをやっているので、興味がある方はそちらもどうぞ宜しくお願いします。↓

under150cmdoya.hatenablog.com

 

低身長だと、初対面なのに友達かと思うぐらいのタメ口で話してこられたり、体育の授業でやる前からできないと決めつけられて周りにクスクス笑われたり。

 

見た目で人と違うものがあると、触れて欲しくないのに、デリカシーなく、しかも失礼なことを言う人が多い。

 

こっちは身長関係なくやっていきたいのに、こちらの気持ちはお構いなしに話題にされる辛さや面倒くささは、やはり経験した人にしか分からないのだろうか。

 

それと似たような感覚で、見た目で分かる障害をお持ちの方も、苦労しているのではないかと思う。

 

私の想像でしかないけど、親切のつもりで話しかけてくれたんだろうけど今全然困ってないのにな~とか、今は正直誰かと話したくない気分なのに障害が理由でそうせざるを得ないなんてことは結構あるんじゃないかな。

 

見た目で分からないからこそやり過ごせる場面ってわりと多いと思う。

だから「見た目で分からないからこそ辛い」とは思わない。

発達障害・聴覚情報処理障害(APD)でも特別な配慮は必要ない

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普通の人(いわゆる障害持ちじゃない人)と症状の程度に差があるから「障害」になる。

 

けれども多かれ少なかれ

定形発達でも聞き取れないときは普通にあるはず。

もう1回言って欲しいな~とか、今の説明イマイチよく分かんなかったな~とか。

定型発達同士でも噛み合わないときは普通にあるはず。

あの人の考えは理解できないな~とか、あの人ってみんなから好かれてるみたいだけど自分にはどうも良い人には思えないな~とか。

 

人それぞれの正義があるし、親切の定義も違うから。

得意不得意もみんな違う。

 

だから、聞き取れなかったときはもう一度繰り返して言ってくれたり、話して伝えるだけでなく文字化して書いてくれたり、他者との違いに対して排除するのではなく、その違いを楽しんだり。

そんな簡単なことで良いんだ。

 

もし上記の事柄を特別な配慮だと思う人がいるのなら、それは日頃何気ない場面で他者に救われているってことに気付いていないだけ。

 

定形の人にも過ごしやすくなるようなちょっとした工夫があるだけで、発達障害や聴覚情報処理障害を抱える人たちは随分と生きやすくなる。

 

発達障害・聴覚情報処理障害にとって優しい世界は、定型の人にとっても優しい世界。

 

学生時代に自らぼっちになったのは「置き物」になりたくなかったから

 

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私、中学・高校・大学はほとんどぼっちで過ごしていました。

驚く人も多いでしょうが、実は望んでぼっちになったんです

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