たぶん、発達障害と聴覚情報処理障害。

たぶん、発達障害と聴覚情報処理障害。

病院での受診により、はっきりと「発達障害」や「グレーゾーン」とは言われなかったものの、ほぼほぼそのようなもんです。聴覚情報処理障害(APD)の可能性も疑っています。

学生時代に自らぼっちになったのは「置き物」になりたくなかったから

 

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私、中学・高校・大学はほとんどぼっちで過ごしていました。

驚く人も多いでしょうが、実は望んでぼっちになったんです

 

 

 

「置き物」をやめた高校生のお話 

先日、TVerで配信されていた

ハートネットTV

https://www.nhk.or.jp/heart-net/

という番組の

「#8月31日の夜に。~いつもと違う夏が終わっても~https://www.nhk.or.jp/heart-net/program/heart-net/1528/

を視聴しました。

 

この放送回でのフルートさん(ニックネーム)という方のおっしゃっていたことが印象に残っていて、自分の学生時代を思い出したんです。

 

 

今年の春に高校生になったフルートさん。

中学時代に部活がきっかけで学校を休みがちになり、高校生になってからも人間関係に悩んでいるそうです。

 

(前略)

6月から分散登校が始まった。

しばらくすると話せる人ができた。

私はなかなか友達ができなくてその人と同じグループに入れてもらっていた。

でも私はそこにいるだけで一言も喋れない「置き物」になっていた。

本格的に学校が始まった。

ある日、昼食を一緒に食べようという誘いを断った。

帰りに友達とお互いの近況報告をしていて、休み時間は1人で過ごすことが多いと伝えたら「寂しすぎワロタww」と言われた。

1人になってスッキリしたと思ったらまた心の中がぐちゃぐちゃだ。

 

 

引用:ハートネットTV「#8月31日の夜に。~いつもと違う夏が終わっても~」放送回より、番組宛てにフルートさんが寄せた投稿日記

 

 

また、番組収録内では置き物でいる自分をやめたことについてもお話しされていました。

「やめるって決めたときはすごくつらかったんですけど、でもやめたらやめたで解放されたというか、楽になれたので、やめてよかったなって思いました。」

 

引用:ハートネットTV「#8月31日の夜に。~いつもと違う夏が終わっても~」

 

 

フルートさんの発言にものすごく共感しました。

「置き物」というワードチョイスがまた絶妙で。

 

 

番組公式サイトより、放送内容を文字化した記事がアップされているようなので、興味のある方はこちら↓

www.nhk.or.jp

 

 

 

まったく友達がいないわけではなかったが・・・

そんなフルートさんのように、

私も学生時代に置き物でいることをやめていたんです。

 

中学時代は一部の人たちからいじめを受け、高校時代は全員と仲良くするぞ!と意気込んだがろくに友達できず。

大学時代は1年の頃は誰かと一緒に居ることも多かったけれども、友達選びをミスったので2年以降は意識的に距離を取っていました。

 

 

ですが、正確に言うと中高大学どの時期も、まったく友達がいないわけではありませんでした

 

 

でも、いじめを受ける前から

元々友達付き合いが好きではない

こともあって、友達といっても、休み時間にちょろっと一緒に居るぐらいの薄い仲です。

友情もクソもない。

なのでどの子も現在は一切交流はありません。

連絡先すら知りません。

知りたいとも思いません。

(けれども当時一緒に居てくれて心強かったのは事実なので、そのことについては感謝はしています^ ^)

 

 

友達付き合いは好きじゃないけど、なぜか友達は欲しかったんですよね。

休日には友達と会いたくないけど、学校生活はキラキラしていたい的な。

みんなの人気者になりたかったんだと思います。

 

しかし残念ながら願いは叶わず。

どの時期もパッとしない存在でした。

 

 

それでも誰かと一緒に居ようと思えば、どこかしらのグループに所属することはできたと思います。

 

じゃあ、何であえて自分から進んでぼっちになったのか・・・?

 

 

 

まさに「置き物」状態だった小学生時代

実はいじめを受ける前の小学生時代から、NOを言えない子でした。

 

嫌なことを嫌だと言えなかった。

ダメなことはダメと注意できなかった。

 

気を使い過ぎてしまう。

人も顔色を伺ってしまう。

自分の意見を主張できなかった。

声も小さくて気弱だった。

たった1人にでも嫌われるのが怖かった。

 

 

どこかしらのグループに所属していても、私からみんなの輪に入らなければ置いてけぼりになるくらい、居ても居なくてもどうでも良い存在になることが多かったです。

 

加えて、発達障害や聴覚情報処理障害(APD)傾向があるので、次々と繰り広げられる会話についていけなかったり、無自覚にズレた解釈をしてしまうこともあって、徐々にフェードアウトなんてことも。

 

今思えば、これってもはや友達ですらないよなぁ(-_-;)

 

もともと

特定の仲良しグループで何をするにも一緒!

みたいなのに向いてないんだと思います。

 

そのことに気付きつつも、小学生時代は常に誰かと群れようとしていました。

 

 

 

転機

そんな小学生時代を経て、

中学校でいじめられたことがきっかけで、

誰かに好かれるとかどうでも良い

と思うようになったんです。

 

それに、中途半端な存在になるくらいなら、100倍1人で居た方が楽しいことにも気付いて。

そこから1人の魅力にどんどん目覚めていきました。

 

周りから見れば、私はカースト最底辺のぼっちだったんでしょう。

実際見下してくる人も多くて、何だコイツらと思ったり。

 

それでも、置き物をやめて後悔をしたことは一回も一瞬もありません

 

むしろ置き物状態が今も続いていたら...と考えるとゾッとするぐらいです。

 

それに、正直なことをいうと私は目立ちたがりです。

もちろんマイナスな目立ち方はしたいとは思わないですが、

中途半端な存在になるより、

いっそのことぼっちの方が

よっぽど色んな面で自分の欲求を満たすことができていた

のかなと思います。

 

当たり前ですが、ぼっちは悪いことではないですから。

堂々としていて良いんです。

 

 

 

ぼっち生活を満喫した大学時代を経て気付いたこと

特に大学生活ではお一人様を大いに楽しんでいました。

 

ほとんどの講義を1人で受けていたし、昼食も1人で食べていました。

時間を自分のためだけに自由に使えるって最高です。

 

休講になって、次の講義まで時間が空いたときは、だいたい図書館でマイペースにのんびり過ごしていました。

図書館は落ち着くし、大学の施設の中で断トツで好きな場所でした。

 

そもそも大学で1人って、とりたててお騒ぎするようなことではないですしね。

中高はともかく、大学は比較的ぼっち生活を楽しみやすかったです。

 

 

そして、大学時代を経験して、

今まで誰かと群れようとしていたのは、

1人なこと自体が嫌だったのではなく、

1人でいることによって

周囲から「可哀想な人」

と勝手に思われるのが嫌

だったんだということに気が付きました。

 

 

私だけでなく、同じ想いの方は多いのではないでしょうか。

女性も男性も、学生も大人も。

 

 

 

最後に

決していじめられたことを美談にするつもりはないし、肯定するつもりもないですが、いじめられた経験がなければ、たぶん今でも中途半端に誰かと群れて中途半端な日々を過ごしていたんだろうなと思います。

 

ぼっちになれて良かった。

置き物を卒業できて良かった。